トップページ > 看護介護全国ニュース(BERITA PERAWATAN) > 2013年7月 第151号

ヘッドライン ... このニュース記事は、EPA(経済連携協定)及び、外国人看護師・介護福祉士に関する全国ニュースをダイジェストでまとめたものです。

【インドネシア】看護師、介護士41人が帰国、6分の1、定着が課題(2013/7/4 共同)

経済連携協定(EPA)に基づき、インドネシアやフィリピンから来日し、2012年度までに看護師や介護福祉士の国家試験に合格した計260人のうち、41人が既に帰国していたことが18日、分かった。日本側の仲介機関である公益社団法人「国際厚生事業団」が明らかにした。

合格後は継続して日本に滞在し介護や医療の担い手となるよう期待されているが、合格者全体の6人に1人が帰国しているのが実態。人材の定着が課題であることが浮き彫りになった。

事業団によると、帰国は家庭の事情などが理由。インドネシアは2008年から候補者の受け入れが始まり、看護師71人、介護福祉士121人が合格。フィリピンは09年から開始され、看護師25人、介護福祉士43人が合格した。

EPAの看護師候補者は3年間、介護福祉士候補者は4年間日本に滞在し、施設で働きながら国家資格取得を目指している。

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EPA看護師デアシさん帰国へ 長島愛生園で最後の別れ(2013/6/28 山陽新聞)

経済連携協定(EPA)に基づいて来日し、国家資格に岡山県内で初めて合格して看護師になったインドネシア人のデアシさん(29)が帰国することになった。国立ハンセン病療養所・長島愛生園(瀬戸内市邑久町虫明)での最後の勤務となった28日、同僚や入所者らと別れを惜しんだ。

帰国理由は、病気の父の介護。園内で昼休みに催された「お別れ会」で、デアシさんは「国家試験に合格でき、今があるのは皆さんのおかげ」と述べ、日本に恩返しし、日本語を忘れないために「日本人向けのクリニックで働きたい」と意欲を見せた。

受け持ちの病棟では、入所者や同僚から「体に気をつけて」「いつでも帰っておいで」などとはなむけの言葉を贈られた。藤田邦雄園長は「県内初の合格者として実績を作った。これからと期待していただけに残念」と話した。

デアシさんは2009年11月に来日。10年1月から長島愛生園で働きながら受験勉強し、12年3月、看護師国家試験に合格。引き続き同園で勤務していた。7月中旬に帰国する。」で、デアシさんは「国家試験に合格でき、今があるのは皆さんのおかげ」と述べ、日本に恩返しし、日本語を忘れないために「日本人向けのクリニックで働きたい」と意欲を見せた。

受け持ちの病棟では、入所者や同僚から「体に気をつけて」「いつでも帰っておいで」などとはなむけの言葉を贈られた。藤田邦雄園長は「県内初の合格者として実績を作った。これからと期待していただけに残念」と話した。

デアシさんは2009年11月に来日。10年1月から長島愛生園で働きながら受験勉強し、12年3月、看護師国家試験に合格。引き続き同園で勤務していた。7月中旬に帰国する。

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155人が日本へ旅立つ 看護師・介護士第6陣「受け入れ体制の充実を」(2013/6/26 じゃかるた新聞)

日本とインドネシアの経済連携協定(EPA)に基づく看護師・介護福祉士受け入れ事業で、6年目の候補者155人は25日、南ジャカルタの駐インドネシア日本大使公邸での壮行会に出席した後、日本へ旅立った。

今年は看護師候補者が48人、介護福祉士候補者が108人。昨年からインドネシアで6ヵ月の日本語研修を受け、大阪で6ヵ月の研修を受ける。その後、全国の受け入れ先の病院・施設に派遣される予定だ。研修では基礎的な日本語能力を向上させ、国家試験に備えるという。

受け入れ先の病院・施設を選ぶ際には、インドネシア政府と選定した候補者が日本側の受け入れ先関係者が面談し、両者のマッチング作業に注力した。その後、書類選考などを通して勤務先を決定した。

壮行会では、鹿取克章・駐インドネシア日本大使が「日本語は理解できますか」と呼び掛けると、候補者は大きな声で「はい!」と応えた。香取大使は「皆さんの先輩の頑張りには日本の人もとても感謝しています。日イの架け橋として頑張ってください」とエールを送った。

候補者を代表してあいさつした看護師候補者のユディ・クスマさん(24)は「インドネシア人看護師、介護福祉士に日本で働く機会を提供してもらえたことをうれしく思います。日本の医療技術を学んで、国家試験の合格を目指します」と意気込んだ。候補者は人気ポップグループ「いきものががり」の「エール」を日本語で歌い、会場には拍手が起こった。

労働者派遣保護庁のジュムフル・ヒダヤット長官は国家試験合格率引き上げについて「日本の受け入れ体制の充実が鍵となる。インドネシア人候補者自身の努力が大前提だが、日イ両国が協力体制を築くことが重要だ」と話した。

2008年から開始された同事業の看護師・介護福祉士候補者数は計1048人。看護師の合格者数が71人、介護福祉士が121人の計192人。昨年の看護師合格率は13%、介護福祉士が37%と低水準にとどまっている。

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インドネシア人福祉士が授業 松山東雲短大(2013/6/14 愛媛新聞)

愛媛県松山市桑原3丁目の松山東雲短大で13日、インドネシア人介護福祉士マルタ・ハルサンティさん(33)=新居浜市若水町1丁目=を招いた授業があり、同短大と松山東雲女子大の学生15人が介護現場で働く外国人への理解を深め、仕事に取り組む姿勢を学んだ。

マルタさんは2008年に経済連携協定に基づく研修生として来日し、12年度介護福祉士試験に合格。新居浜市の特別養護老人ホームで働いている。職場や地域の後押しで勉強に励み、方言も理解できるようになった。

インドネシアは日本に比べ平均寿命が短く「90歳の人が元気に歩くのを見て驚いた」とマルタさん。家族と離れ施設で暮らす高齢者が笑顔になれるよう努めており、お年寄りが口ずさんでいた歌を覚えて披露すると喜ばれたと報告。「文化の違いはあるが、勉強した分だけ仕事に役立っている」と力説した。

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介護士 日比の橋渡し 日本人と同条件で試験合格 来日26年 朝倉市の則松フィデラさん 母国出身研修者から刺激(2013/6/11 西日本新聞)

外国人には難関の国家試験に今春、合格して介護福祉士となった。国籍はフィリピン。政府間の経済連携協定(EPA)で来日したわけではない。だから協定による支援はない。試験の特例措置もない。漢字は苦手だが、寸暇を惜しんで勉強した。福岡県朝倉市の主婦則松(のりまつ)フィデラさん(49)。同市の介護老人保健施設「ラ・パス」でフロア責任者の重責も担う。

ネグロス島の出身。1987年、フェリーの船内イベントで踊りを披露するダンサーとして来日した。その後、朝倉市で理髪店を営む武光さん(60)と結婚。息子の扶偉光(ふいみつ)さん(18)は今春から福岡市内の会社で働く。

ラ・パスで勤め始めたのは7年前。知人の紹介だった。運営する社会福祉法人の稲葉圭治統括本部長(43)は、大手信販会社のフィリピン事務所で勤務経験があり「お年寄りに優しいフィリピン人は介護職に向く」との確信から日本在住のフィリピン人を探していた。

EPAでフィリピンから介護福祉士候補を受け入れる構想も浮上していた。稲葉さんは、フィデラさんの明るい性格に「EPAの候補者と日本人職員、利用者との橋渡し役」も期待した。

だが、介護の現場は初めて。専門用語も飛び交う。日本語は話せても、書くのは苦手。でも、介護の記録を書かないといけない。勤務後、自宅に戻り、家事を済ませてから勉強を続けた。

2010年には、EPAでフィリピンから来日した女性2人がラ・パスで研修を始めた。受験資格ができる14年春の国家試験に向けて、2人には施設側が日本語や専門科目の勉強会を用意。国からは学習関係の補助金も支給された。

刺激を受けた。「私は20年以上、日本にいる。負けられない」。自ら国家試験を目標にした。分からない漢字は武光さんや扶偉光さんに聞いた。

国家試験への挑戦は今春で3回目。EPA組のように試験時間は基準の1・5倍、全ての漢字に振り仮名が付く、といった特例措置はなく、日本人と同じ条件で受けた。合格通知が届いた夜は「うれしくてご飯がのどを通らなかった」。夫と息子から「頑張ってよかったね」と祝福された。

昨年4月からは副主任で、フロア責任者。「お年寄りは今の日本を立派にした尊敬できる大先輩」との思いが強い。施設のEPA組は今や4人。12月には2人増える。在住フィリピン人の大熊ジェニファーさん(33)もフィデラさんの後を追う。

稲葉さんは「超高齢化で25年までに全国であと100万人の介護福祉士が必要とされる。一緒に働く仲間としてアジアの人材を積極的に受け入れたい」と話す。フィデラさんは、さらに難関である介護支援専門員(ケアマネジャー)の試験も目指し始めた。

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