トップページ > 看護介護全国ニュース(BERITA PERAWATAN) > 2013年6月 第150号

ヘッドライン ... このニュース記事は、EPA(経済連携協定)及び、外国人看護師・介護福祉士に関する全国ニュースをダイジェストでまとめたものです。

看護師国家試験:インドネシアのマヌルンさん、最後の機会で合格 高い技術、母国で後輩に伝えたい /長崎(2013/5/25 毎日新聞)

インドネシアから経済連携協定(EPA)で来日し、大村市の国立病院機構長崎医療センターに勤務するエレン・ムティアラ・インダ・マヌルンさん(32)が2月の看護師国家試験に合格した。EPAに基づく受験者311人中合格者は30人という難関だった。

マヌルンさんは2009年11月に来日。10年1月から同病院で看護助手をしながら、試験勉強を続けた。EPAでは在留は3年が上限で、特例として1年延長が認められる。マヌルンさんは最後の機会となる4回目の挑戦で、見事合格した。

大村市役所で23日、松本崇市長に合格を報告したマヌルンさんは「技術が高い日本で勉強して、母国で後輩たちに伝えたい」と抱負を語った。「おねしょ」「あやす」など日本語独特の表現を「チョー難しいです」と笑いながら「病院の図書室で過去問題をしたり、分からない言葉はリストを作って病棟の看護師さんたちに聞いて」勉強を重ねたという。

「患者さんにも好かれている」(同病院関係者)というマヌルンさんは「しばらく日本で勉強し、帰国後は旅行者を担当する看護師になりたい」と瞳を輝かせた。

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中国人看護師が急増 NPO仲介・漢字に強み・支援充実(2013/5/21 朝日新聞)

中国を中心に少なくとも217人の外国人の若者が日本の看護師国家試験に合格し、民間の病院で働いていることが朝日新聞の調査でわかった。深刻な看護師不足を背景に、国内のNPO法人が中国の大学などと病院側の橋渡し役になり、3年ほど前から急増。経済連携協定(EPA)で来日したインドネシア、フィリピン人看護師(96人)の2倍を超えた。

国籍別では、中国183人、ベトナム30人、韓国4人。勤務先の病院は、大半が首都圏か関西だ。

NPOは、朝日新聞が確認できただけで首都圏に3、関西に1。この4法人が217人のうち212人を病院側に紹介した。残り5人は病院側が独自に探し、雇用していた。4法人のうち3法人(東京都、京都府、埼玉県)は2006〜09年に設立され、中国からの受け入れを本格化させた。

NPOが中国を主な対象にするのは現地大学からの要請があり、同じ漢字圏で日本語を習得しやすいからだ。NPOは病院からの寄付などで運営されている。

NPOが紹介した中国人らの国家試験の合格率は70〜90%と、日本人に迫る。一方、EPA枠では、08年から今春までにインドネシアとフィリピンから629人が来日したが、合格率は10%前後と低迷している。

NPOの仕組みで共通するのは、手厚い日本語学習支援だ。現地の医科系大学と提携し、大学に日本語講座を設け、優秀な学生の中から来日候補生を選別。来日後は、受け入れ予定の病院が日本語学校に通う費用を援助する。看護助手として雇用するなどし、生活面でも支える。

ただし、EPA枠の候補生より厳しく、国家試験の2年以内の合格が求められており、受験前に「日本語能力試験」(国際交流基金など主催)の最上位の「N1」に合格しなければならない。

一方、EPA枠では、来日前後に1年間の日本語研修(10年度までは来日後、半年)が義務づけられているだけで、日本語能力試験を受験する必要もない。日本語学習の経費など、国の支援態勢も十分とはいえず、日本語力の不足が指摘されている。

厚生労働省看護課は中国人看護師が増えていることについて、「良いとも悪いともいえない。日本の国家試験に合格しているので、日本人看護師と分け隔てることはしない。医療現場でのトラブルも報告されていないので、実態調査は考えていない」としている。

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EPA元看護師候補者 59人が再会喜ぶ 「日イ両国の懸け橋に」(2013/5/20 じゃかるた新聞)

日イの経済連携協定(EPA)の看護師・介護福祉士受け入れ事業で2008年と09年に派遣され、帰国したインドネシア人の元看護師候補者を中心に59人が18日、ジャカルタに集まった。初回の08年から12年5月までに日本に渡ったインドネシア看護師候補者総数は392人に上り、合格者は約50人。合格できずに期限を終え、帰国した元候補者たちにとって、高額な日本への渡航を含めた再受験、インドネシアでの再就職などが課題となっている。日本で看護師になるという夢をかなえられず、失意のまま帰国した人も多い。「両国の懸け橋になっている人たちを悲しませてはいけない」と、元候補者たちの情報交換の場として、これまで再受験を支援してきた両国の団体関係者が企画した。

元候補者59人は、中央ジャカルタのプラザ・スナヤンのレストランに集まり、お互いの労をねぎらった。苦楽をともにした友人との再会を喜び合う参加者たち。「今は何しているの?」「日本でもう一度国家試験を受ける予定」などとお互いの近況を報告し合った。

佐賀県唐津市の医療機関で働き、今年4月に帰国したフルイダ・マルタさん(29)は「久しぶりに友人と再会できてよかった。試験に合格するのは困難だが、また日本へ行き、試験にもう一度挑戦したい。日本とインドネシアを医療で結ぶ付ける仕事にやりがいを感じている」と力を込めた。

インドネシア日本友好協会(PPIJ)のラフマット・ゴーベル理事長は「日本から帰っても再受験できるサポート体制があるため、この制度を活用し、日イ両国の懸け橋として頑張ってほしい」と候補者を激励した。

「医療で国に貢献を」 元残留日本兵の相互扶助組織として発足し、現在はインドネシアの日系人を支援する福祉友の会が中心となって運営する「ミエ学園」は昨年、元看護師候補者たちの再受験支援に着手、日本側で偕行会(名古屋市)が受け入れ先となり、協力した。今年までに7人の再受験を支援し、1人が合格した。

同会は今年も来年2月の看護師国家試験に向けて再受験する元候補者を募集し、約10人を支援する方針。10〜12月の3カ月間はミエ学園で日本語を再勉強。1月に訪日し、国家試験の過去問題などを復習するという。昨年の受け入れ時には滞在時の費用や国家試験の学習のための教師、住居や食事などを提供した。

日本では同会の医療機関で働くインドネシア人看護師がいるが、再受験支援では合格した場合でも特に同会での勤務などの制約は設けていないという。橋本一幸渉外部長は「この国の医療実態を調査した際、看護師の水準が十分でないと感じた。彼らに日本で高度な医療を勉強してもらい、この国の医療に貢献できる人材を育成する」と話した。

縦横のつながり構築を 今回の会は、ミエ学園のマリコ・スルヤントさんや海外産業人材育成協会(HIDA)在籍時から候補者支援を続けるアセアン・ビズ・コンサルタンツの大谷秀昭さんらが3月ごろから企画。年内にプラザ・スナヤンでクリニックを開設する予定の偕行会が協力した。

大谷さんによると、EPAの第1陣と2陣の看護師候補者同士が集まって交流する機会は初めて。会にはインドネシアの外務省や保健省のEPA担当幹部も招待し、インドネシア政府にも帰国した元候補者たちの支援の必要性を訴えた。大谷さんは「EPA看護師の縦と横のつながりを構築し、お互いの日本での体験を共有することで、日本で得た貴重な知識と経験を今後に生かせると思う」と話した。

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外国人介護士を支援 県内受け入れ施設が連絡協 高齢化で人手不足深刻、定着へ横の連携(2013/5/19 茨城新聞)

経済連携協定(EPA)に基づき来日し、介護福祉士を目指す候補者を支えようと、県内の受け入れ施設が連携して支援組織を設立する。全国的にも珍しい取り組み。候補者は国家試験まで4年間、介護施設で働きながら日本語を学ぶが、施設ごとで環境が異なるのが実情。高齢化社会で人手不足が課題となる中、発起人代表は「候補者、施設とも横の連携を密にして、合格や定着につなげたい」と意気込む。

「心筋梗塞。心臓の一部筋肉が壊死すること」。特別養護老人ホーム愛和苑(古河市)で、フィリピン人のゴメズ・メリーアンさん(27)が日本語で書かれた介護の参考書を読み上げる。

大学で看護を学んだ後、日本で介護福祉士の国家資格を得る夢を抱き、2011年に来日。千葉県の日本語学校を卒業後、昨年1月から、同所で介護に従事している。県内では今春、外国人3人が初めて合格し、「励みになる」と話す。

受験で大きな課題となるのが日本語の読み書き。週1回、先輩職員から勤務後に教えてもらう。「嚥(えん)下(げ)」「吐(と)瀉(しゃ)物」など難しい漢字も書けるよう、帰宅後も毎日勉強する。

介護福祉士候補が国家試験を受けるには、来日後3年の実務経験が条件。その上で1回受験し、不合格なら帰国するのが原則だ。ただ、一定以上の点数を取った場合などは滞在期間を1年延長し、次回再受験できる。

同ホームでは計4人の候補者を受け入れたが、ゴメズさんと同期の女性はホームシックになり、半年で帰国。ほか2人も合格できず帰国した。

厚労省は今回の試験から、外国人の時間を延長し、問題文の全漢字に振り仮名を付ける措置を講じた。だが、介護福祉士の合格率は前回から微増の39・8%にとどまった。

同施設を運営する森誠理事長は「少子高齢化による人手不足は危機的状況。4年目で不合格なら帰国という原則を、6年に延長してほしい」と訴える。

介護職の人手不足は大きな課題。同省は25年に90万人以上不足すると試算する。

県内では現在、EPAに基づき6法人が12人を受け入れている。これらの法人が中心となり、連絡協議会を20日、設立する。発起人代表を務める社会福祉法人芳香会(古河市)の宇留野光子理事長は「慣れない国で意欲を維持するには、仲間や情報交換が不可欠」と説明する。

課題となる語学研修についても、施設ごとに環境が異なるのが現状。芳香会青嵐荘特別養護老人ホーム(結城市)では、日本語教育の専門家が週1回、県外から訪れ、候補者を指導する。こうした事例に学ぼうと、設立式典には、受け入れを考えている施設関係者も参加する。

宇留野理事長は「受け入れる側も手探り状態。勉強会などで情報を共有し、候補者の支援、人材確保につなげたい」と意欲を示す。

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仕事と勉強 くたくた 3年で合格 難しい 日本で看護師制度に壁 EPAのインドネシア人(2013/5/10 朝日新聞)

経済連携協定(EPA)によって日本へ渡ったものの国家試験に合格できずに帰国したインドネシア人元看護師候補者たちから「今の制度のままでは限界」との声が上がっている。送り出した同国保健省も、日本側の受け入れ病院・施設の減少や合格率の下落など、「期待はずれ感」を隠せない。

「恥ずかしい」。兵庫県の病院で3年間働き、昨年8月に帰国したドリスさん(32)は何度も日本で同じ言葉を繰り返した。

あと2年あれば インドネシアの小さな民間病院で6年ほど勤めた後、「先進国の日本でもっと技術を磨きたい」と、2009年に第2陣で訪日した。受け入れ先の病院では午前9時〜午後2時に看護助手として勤務し、午後2時〜5時半は病院関係者の助けを借りながら勉強した。寮と病院は自転車で往復1時間かかった。「仕事と勉強でくたくただった」

最初の国家試験の機会は翌年だったが、「まだ準備不足」と受験を見送り、11年と12年の2度、試験に臨んだが不合格。もう一度受験できる得点にも及ばず、失意のうちに帰国した。

「早く帰って来た。頭が悪いと思われる」と考えるとつらく、訪日まで勤めていた病院にも「恥ずかしくて戻れない」。現在はジャカルタ近郊の学校の医務室で働いている。

「過去問題も解いてがんばったけれど、だめだった。脳神経関係の用語が特に難しかった。あと2年あれば」と涙ぐんだ。「仕事と勉強を並行させる今の制度では、3年間で合格するのは不可能に近い。5年間が無理なら、帰国後もこちらで再受験できるようになるといいのですが」

保健省によると、08年から392人を送り出し、これまでに合格したインドネシア人は71人。今年3月発表の合格者は20人で合格者11.6%。昨年の34人、13.2%を下回った。

同省のトリタラヤティ人材計画活用局長は「今年から全部の漢字にふりがなを付け、試験時間も延長してもらったのにショックだ。日本の厚生労働省に合格率が下がった理由を尋ねたら、『日本人も下がった』と説明された」と話す。だが、日本人を含む全体の合格率88.8%と比べると低さが際だつ。

受け入れに不満

同局長が最も不満なのは、受け入れ病院・施設の減少だ。「最初は『毎年200人』と言われたのに、ほぼ年々減っている。厚労省は『日本は不況だから』と言うが、納得いかない」。送り出す数も08年の104人から12年は29人と激減。最近は看護師の間で「応募しても日本へ行けない。行っても試験に受からない」との情報が流れ、応募数が減っているという。

同局長は「試験時間や日本語研修期間の延長など、改善を続ける日本政府には感謝している。でも、制度そのものを見直す時期なのではないか」と危機感を示した。きちんとした支援策が確立されないまま受け入れを始めたため、毎年のように変わる態勢に、現場では不満が高まっている。

候補者が勤務先の希望を出し、受け入れ側が決める「マッチング」の時期も、インドネシアでの日本語研修後から前倒しで行われるようになった。勤務先を辞職したが、受け入れ先がないために失業してしまう候補者が続出したためだ。

ジャカルタ在住のアフィファさん(27)は昨年のマッチングで外れ、6ヵ月の研修を受けながら結局、来日できなかった。「支援は走りながら考えると言われても、私たちはモルモットじゃない。日イ両方が幸せになれる制度に変えるべきでは」

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