トップページ > 看護介護全国ニュース(BERITA PERAWATAN) > 2012年12月 第144号

ヘッドライン ... このニュース記事は、EPA(経済連携協定)及び、外国人看護師・介護福祉士に関する全国ニュースをダイジェストでまとめたものです。

骨髄移植へ募金を インドネシア人看護師 フェラさん夫のロビさん (2012/11/6 じゃかるた新聞)

経済連携協定(EPA)の看護師・介護福祉士受け入れ事業で日本へ渡り、現在は岐阜県岐阜市の岩佐病院で働くフェラ・イラワティさんの夫ヌル・フダン・アクロビ(通称ロビ)さんが、高額な費用を必要とする骨髄移植をしなければならない難病にかかっていることが分かり、病院関係者や知人らが「ロビさんを救う会」を設立し、募金活動を開始した。

2008年に来日したフェラさんは、11年に国家試験に合格。中部地区で初めてのインドネシア人看護師として日本で働き続けられることになり、夫のロビさんを呼び寄せた。今年2月には娘のハナちゃんが生まれ、夢だった日本での家族生活を送っていた。

ロビさんは今年に入って「骨髄異形成症候群」にかかっていることが分かった。唯一の治療法は骨髄移植だが、日本の骨髄バンクやインドネシアの親族では移植が可能な人が見つからず。海外の骨髄バンクで移植可能な人が見つかったが、諸経費が500万円ほど必要になるという。

フェラさんは「夫が元気になり、9カ月の娘のためにも長く生きてほしいと願っています。皆さんの助けが必要となりましたので、よろしくお願いいたします」とのメッセージを寄せている。

募金の振込先など詳細は「ロビさんを救う会」のウェブサイト(http://robbie.la.coocan.jp/index.html)で。

↑ページの先頭へ戻る

看護師らの研修開始 EPAで越から初受け入れ(2012/11/28 共同)

日本とベトナムの経済連携協定(EPA)に基づいて、ベトナムから初めて受け入れる看護師と介護福祉士の候補者に対する日本語研修の開講式が28日、ハノイ近郊フンイエン省イエンミーの職業訓練校で開かれた。外国人看護師と介護福祉士の受け入れは、インドネシア、フィリピンに続いて3カ国目。訪日は2014年春から夏ごろの見通し。インドネシアなどの看護師候補者の場合、国家試験合格率が低調で、日本語習得が大きな課題。ベトナムについては、日本語能力試験N3(日常的な場面で使われる日本語をある程度理解することができるレベル)の取得を候補者の要件としており、母国で1年間の日本語研修を実施し、合格を目指す。研修費用は日本が全額負担する。

↑ページの先頭へ戻る

帰国看護師らに就職支援 インドネシアで日本大使館 (2012/11/27 共同)

日本との経済連携協定(EPA)に基づく外国人看護師・介護福祉士受け入れ事業で、在インドネシア日本大使館は27日、日本の国家試験に合格できずに帰国したインドネシア人の看護師らにインドネシアでの就職を仲介する説明会を開いた。昨年10月に続き2回目で、同国に進出し求人中の日系企業や地元病院が参加した。

国際厚生事業団(東京)によると、同事業ではインドネシア人が累計で892人来日したが、国家試験の合格率は低く、約270人が既に帰国した。

首都ジャカルタで開いた説明会には、帰国した数十人とジャカルタなどに拠点を持つ日系企業約30社、地元病院15施設が参加。日本の病院や介護施設で働いた経験や日本語能力を生かせる仕事を紹介した。大使館担当者は「就職して日本とインドネシアの懸け橋になってほしい」と強調した。

↑ページの先頭へ戻る

岐阜 「日本で新しい経験を」EPAで美濃加茂へ比から看護師3人  (2012/11/27 中日新聞)

美濃加茂市古井町の木沢記念病院で26日、日本とフィリピンの経済連携協定(EPA)に基づき来日したフィリピン人看護師候補者3人が就労を始めた。同病院で日本語や医療技術を学びながら、日本の看護師資格の取得を目指す。

3人は、アグホブ・エマ・コンセビション・ロペズさん(26)、ベルガ・ロジリン・デルサントスさん(28)、ハルデニナノ・サイロン・グランデさん(28)で、いずれも母国の看護師。

大阪で6カ月間の日本語研修を経て同病院へ。3年間の滞在期間中は看護助手として働きながら、日本の国家試験合格に向け勉強を続ける。

辞令を交付した山田實紘理事長は「頑張って合格し、日本で仕事を続けてもらいたい」と励ました。エマさんは「日本の技術はすばらしく、新しい経験を積める。自信を持って取り組みたい」と抱負を語った。

協定に基づく看護師候補者の日本の国家試験合格率は2011年度で11・3%。同病院では昨年度までに、フィリピンとインドネシア人計4人を受け入れ、今年3月にフィリピン人男性1人が合格している。

↑ページの先頭へ戻る

看護師や介護福祉士目指し、インドネシアから来日…富山  (2012/11/15 共同)

日本とインドネシアの経済連携協定(EPA)に基づく事業で、介護福祉士と看護師の国家資格取得を目指すインドネシア出身の男女4人が14日、受け入れ施設がある富山県魚津市に到着した。

今月下旬から働きながら試験合格を目指す。介護福祉士を目指すダニス・ウイラストコさん(27)とナイマトゥス・シャディアさん(27)は、同市大光寺の特別養護老人ホーム「新川ヴィーラ」で、看護師を目指すウイディ・ヘルマワン・リスヤントさん(25)とアイ・ヌラハヤティさん(25)は、同市友道の「魚津病院」で勤務する。

4人ともインドネシアの看護師資格を有し、約1年間の日本語研修を受講。14日は市役所に谷口雅広副市長を訪問。ヌラハヤティさんは、「看護師は大変な仕事だけれどやりがいがある。日本の高いレベルで学びたい」と滑らかな日本語で意気込みを語った。

4人は今後、共同生活を送りながら働き、外部講師の授業を受けるほか、同事業で来日し、介護福祉士の国家資格を取得した新川ヴィーラの正規社員、レスタリ・ラハイユさんのサポートを受ける。

↑ページの先頭へ戻る

帰国後再挑戦で初合格 ウィディさん来月就労開始 EPA看護師受け入れ事業 未整備な制度、官民で補う 「『懸け橋』悲しませない」(2012/11/17 じゃかるた新聞)

日本とインドネシアの経済連携協定(EPA)に基づく看護師・介護福祉士受け入れ事業で、国家試験に合格できずに一旦は帰国したが、再訪日して今年初めの試験に合格したウィディヤンティ・ジュリアルさん(32、通称ウィディ)が18日に日本へ出発する。国家試験の合格率の低迷は続き、候補者の多くが帰国する中、帰国後の再挑戦で日本の正式な看護師となるのはウィディさんが初めてだ。

2008年、同年に始まった事業の第1陣として日本に渡ったウィディさん。当初はまったく日本語がしゃべれなかったが、就労先の愛知県名古屋市の聖霊病院では「『困ったときは何でも聞いて』と皆が言ってくれて、優しい人たちに囲まれていた」。日本人看護師と同じ勤務体系で働きながら、退勤後に国家試験の勉強を続けた。滞在期限が切れる前の11年の試験は合格点まであと一歩。それまでの努力を思い返すと、日本で看護師になる夢は諦められなかった。

同年8月に帰国。東日本大震災の発生から間もない時期で、親は再度日本へ行くことに反対したが、「子どものころから日本に対する憧れがあった」とウィディさんの再挑戦への気持ちは変わらなかった。来月から偕行会(愛知県名古屋市)の名古屋共立病院で一般病棟の看護師として働き始めるウィディさんは「技術が進んでいる日本で良い看護師になってインドネシアに帰ってきたい」と力を込めた。

<制度上可能でも‥> 帰国した元看護師・介護福祉士候補者たちが国家試験を受験するのは制度上自由。だが、渡航・滞在費の負担は重く、日本から離れた状態で試験に向けた環境を維持するのも難しい。

さらに、受験申請には日本の収入印紙が必要だったり、ビザの取得では、試験間近にならないと発行されない受験票が必要であったりするなど、硬直化した制度が再挑戦への意欲を削ぎかねない状況となっている。

そんな中、慰労会に出席した福祉友の会のヘル・サントソ衛藤発起人会長は、元候補者たちが帰国した後も日本への強い思いを持ち続けていることを知った。福祉友の会が中心となって運営する「ミエ学園」が、意欲が高かったウィディさんら3人を支援することを決定。渡航のビザ取得手続きや試験勉強のための環境整備などに奔走した。

日本側では偕行会が協力。偕行会は「病院の労働力は不足しており、少子化で今後は一層厳しくなる。将来的には外国から人材を求める時代が確実に来るが、そのときに準備を始めるのでは遅い」(川原真・偕行会専務補佐)との考えから外国人看護師の受け入れ体制を整える方針を持っており、3人の滞在時の費用や国家試験の教師、住居や食事などを提供した。厚生労働省や外務省、在インドネシア日本大使館の各担当者も、初めてのケースに対して試行錯誤を繰り返し、無事ウィディさんが働き始めることができるようになった。

海外産業人材育成協会(HIDA)在籍時から看護師候補者の支援を続ける日本能率協会の大谷秀昭さんは「当初は海外から働き手が来るということで拒否感もあったが、彼らが各地で頑張り、日本でのインドネシアのイメージが良くなった」と語る。生産現場の人間関係が中心になる製造業の研修生と違い、看護師・介護士候補者たちは地域の人が利用する病院や施設で日本社会に溶け込んだ。

すでに09年に第2陣として日本に渡った元候補者たちも帰国し始めており、インドネシアにいる元候補者は100人以上いるが、今月締切を迎える来年の国家試験に申し込んだのは約10人にとどまる。一度帰国してからの再挑戦の壁は高いが「両国の懸け橋になっている人たちを悲しませてはいけない」と大谷さん。今後もミエ学園や偕行会をはじめとする関係者は、帰国した元候補者たちの再挑戦を支援しながら、両国政府に制度の改正を求めていく考えだ。

↑ページの先頭へ戻る

帰国者続出のEPA派遣 「日本で看護師になる」 東京都・首都大 バンドンの学生支援(2012/11/9 じゃかるた新聞)

2008年に開始した日本とインドネシアの経済連携協定(EPA)に基づく看護師・介護福祉士受け入れ事業で、東京都と首都大学東京が先月末から、西ジャワ州バンドンのインドネシア教育大(UPI)看護学科の学生に対してテレビ電話を通じた日本語学習支援を始めた。日イの協力関係を一層促進させる試みとして期待されている受け入れ事業だが、難解な日本語が並ぶ国家試験の合格率は低く、それに伴って帰国者が続出している。同大での学習支援は、日本行きを前に日本語能力の向上を促すことで、国家試験の合格率上昇とインドネシア人看護師・介護福祉士の定着を目指す取り組みの一つだ。

「何時に起きますか」「6時に起きます」―小さな教室に大きな声が響く。「次はエルニさんお願いします」と画面上から呼び掛けるのは講師の神山初美さん。9月に事前講習で訪れており、学生の顔と名前を覚えている。学生が正解を言えば「おー」と室内と画面の両方から歓声。1時間半の授業中は笑い声が絶えず、日本とインドネシアの距離を感じさせない双方向な授業となっている。

講義は週に1回で、1年生から3年生までの全学生約60人が受講。首都大学東京の日本語教育や看護学科の教員たちが、1年目は基礎日本語、2年目は看護・介護分野の専門的な日本語、3年目は国家試験対策を教える。授業の様子を録画しており、将来的にはEPAでの日本行きを目指すインドネシア全国の学生が視聴できる仕組みの構築を目指している。

<日本好きの受け皿に> 2010年に開設したばかりのインドネシア教育大看護学科。同大は日本の教育機関と幅広く提携関係を結んでいることもあり、看護学科も開講時からEPAでの日本行きを念頭に日本語教育に注力している。週に4コマの日本語講義があり、1期生に当たる3年生は日本語学科の学生顔負けの日本語を話す。

3年生のリラ・セプタニアさんは「日本の技術に興味があった。それに看護師はいい仕事だと思っていた」と語る。学生たちは「ドラえもん、ナルト、ワンピース」と次々に日本のアニメの名前を挙げるなど、日本に対する憧れが強い。日本で看護師として働くことが学生たちの夢だ。

「通常、日本で働くことは日本の法律や制度上、難しい」と話すのはコーディネーターのディアニ・リスダさん。EPA制度では国家試験に合格すれば、正規の資格で働き続けることができる。難解な国家試験は「大きな壁」(ディアニさん)だが、EPAの制度は、日本に関心を持つ若者の受け皿になる可能性を持っている。

<アジアの人材を育成> 東京都と首都大学東京は今年から、来日しているインドネシア人とフィリピン人の看護師・介護福祉士候補者や、候補者になることを目指す学生の学習支援に乗り出した。東京で開講している看護師・介護福祉士候補者向けの日本語講座や国家試験対策講座は、首都圏在住の約20―30人が受講している。

東京都はアジアの主要都市との連携強化を目指す施策の一つとして「アジアの将来を担う人材の育成」を掲げており、学習支援はその一環。東京都知事本局政策部政策担当課の三宅雅崇課長は「意欲を持って日本へ来たアジアの若者たちの希望がかなうよう支援をしていきたい」と語る。

<帰国者支援も充実へ> EPA制度で日本へ行ったインドネシア人看護師・介護福祉士候補者は791人。国家試験の合格率は年々上がっているものの、今年も看護師が約13%、介護士が約37%にとどまった。不合格者を中心にすでに帰国したか、近く帰国する人はこれまでに約200人に上る。

日本政府は問題に振り仮名を付けるなどの対策を取っている。帰国者に対しては、在インドネシア日本大使館を通じ、試験や日本入国の手続きの支援、模擬試験の実施など、国家試験への再チャレンジを促進。帰国者の再就職も後押しする方針で、今月末には大使館で日系を中心とした企業との面談の機会を設けるジョブフェアを開催する。

↑ページの先頭へ戻る

看護介護全国ニュース(BERITA PERAWATAN)2017年 1月〜11月号

2016年 1月〜12月号

2015年 1月〜12月号

2014年 1月号〜12月号

2013年 1月号〜12月号

2012年 1月号〜12月号

2011年 1月号〜12月号

2010年 1月号〜12月号

2009年 5月号〜12月号