トップページ > 看護介護全国ニュース(BERITA PERAWATAN) > 2011年9月 第129号

ヘッドライン ... このニュース記事は、EPA(経済連携協定)及び、外国人看護師・介護福祉士に関する全国ニュースをダイジェストでまとめたものです。

EPA:インドネシア人看護師養成 迫る在留期限、残らぬ人材/中部朝刊(2011/7/28 毎日新聞)

熊本市の病院で就労しながら看護師の国家試験合格を目指していたインドネシア国籍のダナ・フィトリ・アマリアさん(28)が27日、帰国を前に会見した。合格することはできなかったが、自分が感じた制度の問題などを訴えた。

母国で看護師として従事していたダナさんは、日本の先進医療に触れたいと約100人の仲間と経済連携協定(EPA)に基づき看護師候補生として08年8月に入国。半年の語学研修を経て、09年2月から熊本市の西日本病院で働き始めた。最長3年間滞在することができ、今年2月まで国家試験に3回挑戦したが不合格。夢を一時断念し帰国することになった。

会見でダナさんは病院ごとに教育サポートに違いがあることを指摘。「私は師長さんたちが手伝ってくれたりしたが、友人の中には1日1時間も勉強する時間がない人もいる」と話した。また国家試験の内容についても「時間が足りない。問題にも英語訳を添えてもいいのでは」と感想を述べた。「また日本に来たい」と笑顔で語ったダナさん。31日に帰国するという。

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看護師候補生:教育サポート充実を インドネシア候補生訴え 試験断念し帰国/熊本(2011/8/3 毎日新聞)

候補生「3年では時間不足」/病院「延長は場当たり的」

日本とインドネシアの経済連携協定(EPA)で08年8月に来日したインドネシア人看護師候補生の在留期限(3年)が迫っている。国は一定の条件を満たす候補生に1年の延長を認めたが、厚生労働省によると、同年に入国した104人のうち合格者は15人、延長の条件を満たす68人のうち手続きをしたのは27人に過ぎない。受け入れ病院からは「場当たり的に延長しても看護師不足は解決できない」との批判が出ている。

国の延長条件は、看護師試験の得点が合格点の約半分の102点以上であることなど。東海3県では08年に愛知と岐阜に計16人が来て「延長組」は7人だった。

岐阜市の岐阜中央病院で働いてきたルリ・トゥリ・ハンダヤニさん(26)は延長条件を満たすが、帰国を決めた。「試験に受かっても日本の看護についていけるかなと思って……」。両親が帰国を望んだことが最大の理由だが、看護の違いにも戸惑ったという。

日本の病院は高齢患者が多い。注射などの診療補助にとどまらず、入浴介助や検査室への付き添いといった介護の仕事も多い。「成長できたけど、3年では分からないことだらけ」と振り返る。

同病院の長崎功美・人材開発相談室長は延長について「国は合格率を上げたいだけ。寿命も主要死因も違うのに、看護の差を埋める仕組み作りは全くしない」と批判的だ。

候補生の教育は受け入れ病院に丸投げで、病院の負担は増える一方という。同病院は看護師不足の解消につながらないと判断して今後は候補生を受け入れない方針。

長崎室長は「病院は看護師の質の低下や過重労働といった根本的問題の解決を求めている。この制度は国の意図する方向に向かっていない」と指摘する。

岐阜県美濃加茂市の木沢記念病院の山田実紘病院長は「合格しても定住を考えている人は少ない」と話す。同病院に来た2人の候補生は、来日当時から3年で帰国すると決めており、東日本大震災を受けて4月に帰国した。山田病院長は「お金を稼ぐことが目的の人も多い。定着させるなら看護師に次ぐ資格を設け、時間をかけて看護師を目指す仕組みが必要」と指摘する。

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行政ニュース : インドネシア・フィリピンの介護・看護候補者は累計1,300人 (2011/8/17 ケアマネジメントオンライン)

厚生労働省は、このたび、インドネシア、フィリピンからの介護福祉士、看護師候補者の受け入れについて、今年度の方針を公表した。

まず、インドネシアからの受け入れの概要については、下記の通り。

■平成23年度 経済連携協定に基づくインドネシア人候補者の受入れについて

フィリピンからの受け入れの概要は、下記の通り。

■平成23年度 経済連携協定に基づくフィリピン人候補者の受入れについて

ただし、平成23年度の介護福祉士候補者の就学コースは、募集しないこととなっている。

インドネシアからは2008年度から、フィリピンからは2009年度から、経済連携協定に基づき、それぞれ介護福祉士、看護師候補者の受け入れを実施してきた。これまでに2国あわせて、累計1,300人ほどが入国している。

入国後は、介護福祉士・看護師の国家資格を取得することを目的とし、介護は4年間、看護は3年間という協定で認められる滞在の間に就労・研修を行うこととなっており、受け入れ機関が国家資格の取得を目標とした研修を実施している。

資格取得後は、介護福祉士、看護師として滞在・就労することができるが、決められた年数内に資格を取得できない場合は、帰国することとなる。

ただし、問題となっているのが、日本語による国家試験のハードルの高さ。そこで今回、滞在期間の延長が告示され、2008年度にインドネシアから入国した看護師候補者は、もともとは3年間が期限のため、2010年度が最後の資格取得のチャンスだったものの、特例として、2011年度の看護師国家試験の受験が認められ、合格に向けて日本で研修を受けることが許されている。

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外国人に日本語の壁 看護師候補 離日相次ぐ 極端な低合格率 在留延長実らず インドネシア第1陣 (2011/8/20 西日本新聞)

政府間の経済連携協定(EPA)で来日し、日本の国家試験合格を目指す外国人の看護師候補のうち、制度が始まった3年前に来日したインドネシアの第1陣が7月末までに続々帰国した。政府は来年も受験できるよう在留期限を1年延長したが、日本語による国家試験の合格率は極端に低く、「こんなに努力しても駄目なら」と、合格を諦める看護師候補が後を絶たないからだ。九州でもこれまでに、15人のうち12人が帰国した。政府は制度の抜本的見直しを迫られている。

インドネシアからの第1陣104人は、2008年8月に来日。半年の語学研修を経て、09年2月から九州の6病院を含む全国の病院で、看護の助手として働きながら、年1回の国家試験を受けた。しかし、難解な漢字や外国人には分かりにくい日本語の言い回しが多い国家試験の壁は厚く、第1陣の合格者は過去3回で15人にとどまる。

EPAは「来日から3年以内に合格しないと母国に戻る」と規定。昨年までに11人が家庭の事情などで帰国。規定通りだと、78人が今月初めまでに帰国しなければならなかった。

制度設計や支援態勢が不十分なまま受け入れたことで内外から厳しい批判を浴びた日本政府は、大量帰国で批判がさらに高まることを恐れ、在留期限を1年延長。ただし、今年2月の国家試験で「300点満点中102点以上」との条件を付けた。これは合格ラインの203点の半分。68人が来年2月も受験できることになった。

ところが4月以降、条件を満たした人も含め帰国者が続出。厚生労働省によると、第1陣のうち来年の試験を目指すのは全国で27人にとどまる見通しだ。全国でこれまでの帰国者は計62人。外務省は「結婚など家庭の事情のほか、『こんなに頑張っても合格できないなら』と燃え尽きたケースもある」と説明する。

当初15人だった九州の第1陣は、昨年までに2人が帰国。今年の試験で1人が合格したが、不合格の12人のうち10人は7月末までに帰国した。残ったのは福岡、佐賀両県の各1人になった。

外国人看護師問題に詳しい長崎大大学院の平野裕子教授(保健医療社会学)は「日本語能力を高めてから来日させたり、看護大学への留学と組み合わせたりするなど制度を再構築しないと、誰も日本に来なくなってしまう」と指摘している。

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特集 被災地を支援する外国人(上)EPA 看護師・介護福祉士候補者たちがボランティアチームを結成 〜被災地の高齢者に笑顔を取り戻す(財)海外技術者研修協会(AOTS) (財団法人入管協会発行2011年8月号 『国際人流』より転載)

2008年から始まった日本とインドネシアの経済連携協定(EPA)に基づく看護師・介護福祉士候補者の受け入れ。翌年にはEPAフィリピン看護師・介護福祉士候補者の受け入れも始まり、これまでにインドネシア人約800名、フィリピン人約550名が来日。全国の病院や介護施設等で働きながら、日本の看護師・介護福祉士国家試験合格を目指して勉強に励み、すでに19名の看護師が誕生している(介護福祉士の試験は来年から開始)。

(財)海外技術者研修協会(AOTS)では、看護師・介護福祉士候補者に対して、各施設に受け入れられる前、数か月から半年にわたって日本語等の研修を行っている。この研修期間中に結ばれた候補者たちの絆はかたく、また、AOTS職員たちのあたたかい対応に誰もが厚い信頼を寄せ、研修後も何かと相談に乗ってもらうことが多いという。

そんな看護師・介護福祉士候補者の有志約50名が、被災地へのボランティアチームを結成したのは震災発生から約10日たった3月22日のことだった。仕事と勉強の合間をぬって被災地を訪れ、老人ホームや介護施設、病院を訪問したり、炊き出しを行ったりしている。

ボランティアチームのコーディネーターを務めるのが、AOTS経営戦略室広報グループ長の大谷秀昭さん。大谷さんに、支援についてお話をうかがった。

施設や病院を訪れ、利用者と交流し、震災時の対応について聞く

――EPA看護師・介護福祉士候補者の皆さんが、ボランティアチームを結成されたきっかけは何だったのですか。

インドネシアでは、2004年にスマトラ沖地震が起き、大きな津波に襲われました。インドネシアの方々は、津波が甚大な被害をもたらすだけでなく、その後も精神的な苦痛をともなうことがわかっていたのですね。それで今回、自分がお世話になっている日本が津波に襲われたとあって、何かしなければと強く思ったようです。震災発生後、インドネシア候補者たちは自国の被災者に対して東京のインドネシア人学校でボランティア活動を行っております。それならフィリピンの候補者たちにも活動を広げたらどうかと提案して、ボランティアチームが結成されたのです。

――最初に被災地を訪れたのは?

5月21日、22日の土日を利用して、東京の永生病院と神奈川の菊名記念病院からインドネシア人3名、フィリピン人2名の看護師候補者たち、そして私と私の知人の計7名で宮城県に行きました。

――主にどんな活動をされたのですか。

現地の様子がまったくわかりませんでしたし、また、突然、外国人がボランティアをしたいと申し出ても受け入れ側が躊躇されると思い、このときは今後の計画を立てるための参考となるよう、現地の声を聞いたり、視察をしたりすることにしました。1日目は、名取市にある社会福祉法人宮城福祉会養護老人ホーム松寿園と仙台市のライフステージサニーライフ仙台にうかがいました。松寿園ではEPA介護福祉士候補者5名を受け入れており、直接彼らに激励の言葉をかけることもできてよかったです。また、双方の施設の代表の方に、震災時の日本人職員の対応や利用者さんの様子などを聞いたり、壊れた建物の説明を受けたりしました。利用者さんの安全と命を守ることの責任の大きさを、メンバーは実感したのではないでしょうか。利用者さんたちとの交流の時間も設けていただいて、おしゃべりをしたり、歌ったり、足のマッサージをしてあげました。書道の時間を見学したとき、利用者さんが「ようこそ」と歓迎の言葉を書いてくださり、メンバーはとても喜んでいましたね。

――利用者さんたちも大変喜ばれたのではないでしょうか。

はい。メンバーたちを孫のようにかわいがってくれました。翌日は山元町の国立病院機構宮城病院に行き、看護師候補者2名を激励しました。こちらの病院は国道6号線が目の前を走っており、津波が国道の数10メートル先まで押し寄せてきたそうです。そうしたなか、自分のことは顧みず、目の前の患者さんの治療に専念していた日本の看護師さんの話を2名の候補者から聞き、プロフェッショナルな働きぶりにみんな感動していました。また、遠くまで行かないと買い物できないということでしたので、米や水の買い出しのお手伝いもさせていただきました。夜には、東北大学のインドネシア人留学生たちの寮を訪問し、ボランティア活動についてお話を聞きました。

――あちらこちらを回られ、またいろいろな方からお話をお聞きしたのですね。

施設の利用者さんたちと交流したときのことですが、5分も立たないうちに、メンバー全員が利用者さんの輪の中にすっと溶け込んでいったのには驚きました。施設の方も、日本人にはない素晴らしい才能だと感心されていましたね。

ボランティア活動がモチベーションアップにつながる

――2回目に行かれたのはいつですか。

5月28日と29日、インドネシア介護福祉士候補者3名とともに宮城県の東松島市に行きました。この日は復興祭りが行われ、私たちもテントを出して、留学生たちと一緒にインドネシアの代表的な料理ナシゴレンを作りました。200人分ほど作ったのですが、皆さん、おいしいといってくださり一時間半ほどでなくなりました。

――これまでの活動について皆さんどのような感想をおっしゃっていますか。

何かしてあげたという気持ちを持っている人は誰一人いません。参加できてよかった、うれしかった、そして勉強になったという声が多かったですね。高齢者の方から頑張ってね、試験に合格してねと逆に励まされたのがとても印象的だったようです。みんな頑張って合格したいといっていて、彼らのモチベーションアップにもつながったと思います。

次回は9月10、11日を予定しています。相馬市で行われる鎮魂祭りと、その翌日の松寿園でのインドネシア竹製楽器アンクルンの演奏会です。どちらもボランティアで協力します。また、こうしたボランティア活動に賛同いただき、日本財団から助成金をいただくことができました。これにより、メンバーの負担が大いに軽減されます。大変有難いことです。とはいえ、候補者たちの一番の目標は試験に合格すること。秋以降は試験勉強に専念しなければなりませんから、勉強や業務の妨げにならないよう、受け入れ施設さんと相談しながら無理せず活動を続けていきたいと思います。

(聞き手:「国際人流」編集局)

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特集 被災地を支援する外国人(上)ボランティアチームのメンバーとして活動する EPA看護師候補者の皆さん(永生病院)(財団法人入管協会発行2011年8月号『国際人流』より転載)

医療法人社団永生会(東京都八王子市)は、永生病院をはじめ、南多摩病院、永生クリニック、2か所の老人保健施設、4か所の訪問看護ステーション、また、居宅介護支援事業所や認知症グループホームなどを有し、病気予防・治療から介護予防・介護にいたるまで、切れ目のないヘルスケアを提供している。

海外からの医療従事者の受け入れにも積極的に取り組み、現在、EPAインドネシア看護師候補者4名、フィリピン看護師候補者と介護福祉士候補者2名を受け入れており、今年3月には1名のインドネシア看護師候補者が国家試験に合格している。

東日本大震災発生直後、永生会ではチームを組んで福島、宮城の被災地へと赴き医療救援活動を行っており、これまでに9陣が出発した。

EPA看護師候補者たちからボランティア活動の申し出があったときも、病院側は全面的にバックアップしたという。

「候補者たちはみんな、前々から自主的に支援に行きたいといっておりまして、困っている人を助けるという気持ちは、どこの国でも共通なんだなと思いました。しかし、ただ行っただけでは迷惑になるだけだから、まず現地の方と連絡を取り合わなければいけない、また、生活はすべて自分たちで賄わなければならないので、その準備をきちんとしなければいけない、ということを伝えました。そうしたところ、AOTSさんに連れて行っていただけることになり、4人の看護師候補者が5月に宮城県へ行きました。今回のボランティア活動は、候補者たちに大きな影響を与えたと感じています」(相談役 看護・介護採用担当部長・宮澤美代子さん)

ボランティアチームのメンバーとして初めて被災地へ向かったのは、第2陣EPAインドネシア看護師候補者のロシタさんとアニクさん、そして第1陣EPAフィリピン看護師候補者のエクセルシスさんとキャロルさん。4人にボランティア活動の感想をうかがった。

日本に恩返しをするために母国には戻らず仕事と勉強を続ける

――皆さん、2009年に来日したそうですね。最初に母国での看護師の経験について教えていただけますか。

ロシタ ジャカルタの病院で外科やICU、また透析の仕事などを5年半していました。

エクセルシス 集中外来を中心に内科や手術室などで3年少々働いていました。

キャロル 私は5年半、総合病院で働いていて、内科、外科、小児科、産婦人科を経験しています。

アニク 2年間クリニックで勤めたあと大学に通い、卒業してからは病院の産婦人科で働いていました。

――皆さん、どうして日本に来ようと思ったのですか。

ロシタ 日本はインドネシアでは有名で、安全な国だと教えられていたのでぜひ行ってみたいと思いました。

エクセルシス 日本は手術の技術レベルが高いと聞いていたので、自分にとっていい経験になると思いました。

キャロル 私は子どものときから日本に行きたいと思っていました。でも、母から看護師になってほしいといわれ、日本に行くのをあきらめていたんです。そうしたら、日本で看護師の募集をしているとテレビでやっていて、すぐにホームページで調べてEPAに挑戦しました。

アニク 看護師のレベルが高いと聞いていたので勉強になるし、友達も作りたいと思いました。

――3月11日はどこにいたのですか。

キャロル みんな病院にいました。こんなに長くて大きな地震は初めてで、本当に最後のときを待つしかないのかなと思いました。

アニク 初めは怖かったのですが、病院のスタッフからこの建物は大丈夫、と聞いて安心しました。

――そのあと、原発事故が起こり、多くの外国人が帰国しましたが、自分の国に帰りたいとは思いませんでしたか。

エクセルシス 日本には恩返しをしなければなりませんから、残ろうと思いました。そして、被災した方々を助けたいと思いました。

ロシタ もともと試験が終わったら、いったんインドネシアに帰国する予定でした。12日に帰国したのですが、電車の本数が少なく、エレベーターも止まっていて、駅には人がいっぱいで、空港に着くまでが大変でした。日本に戻るとき家族は心配しましたが、大丈夫だからといって2週間後に戻ってきました。

――皆さん、EPAボランティアチームのメンバーとして、5月21日と22日に宮城県に行かれたそうですね。

キャロル ニュースを見ていたら、信じられない光景が映っていました。小さな子どももお年寄りもたくさん亡くなって、残された人たちも本当にかわいそうだった。だから、被災地に行って何か手伝いたいと思いました

ロシタ 最初に養護老人ホームに行って、次に介護施設に行きました。ふたつの施設では、利用者さんと地震のことについてお話をしたり、一緒に歌を歌ったりしました。

エクセルシス 利用者さんにマッサージをしたり、どんな心配事があるかを聞きました。施設の代表の方から、地震のあと利用者さんの顔から笑顔が消えたけど、私たちが来てまた笑顔が戻ったといっていただきました。

――ボランティア活動をしてどんな感想を持ちましたか。これからもボランティア活動を続けていきますか。

エクセルシス 被災地を訪れて、皆さんとお会いできてとてもうれしかったです。とても豊かな気持ちになりました。被災者の方々はいろいろな悩みを抱えていますので、今度は精神面でお手伝いできればと思います。ナースに合格したらずっと日本にいることができるので、いつでも被災地に行ってお手伝いすることができます。だから、勉強も頑張ります。

キャロル ある高齢者の方に、自分は体力がないから早く走ったりすることはできないけれど、気持ち次第でいくらでも強くなれるという話を聞きました。私は被災地でいろいろ学んで強くなった。大きな問題が起こっても大丈夫。チャンスがあったらまたお手伝いに行きたいです。

ロシタ できるだけヘルプしたいと思います。ただ、仕事と勉強をしなければいけないので、病院のスタッフと相談したうえでボランティア活動に参加したいと考えています。

アニク ボランティアに参加して、いい経験ができたと思います。今、試験勉強中なので、今度いつ行けるかわかりませんが、お手伝いできることがあれば行きたいと思います。永生病院の先生から、試験に受かったらいっぱい、いろいろなことが待っているよといわれましたので、合格できるように頑張ります。

(聞き手:「国際人流」編集局)

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