トップページ > 看護介護全国ニュース(BERITA PERAWATAN) > 2011年6月 第126号

ヘッドライン ... このニュース記事は、EPA(経済連携協定)及び、外国人看護師・介護福祉士に関する全国ニュースをダイジェストでまとめたものです。

介護福祉士目指し猛勉強中 インドネシア男性3人 (2011/5/8 神戸新聞)

日本とインドネシアの経済連携協定(EPA)に基づき介護福祉士候補生として、2009年からたつの市揖西町の特別養護老人ホーム「桑の実園」で働き始めたインドネシア国籍の男性3人が、猛勉強に励んでいる。受験まで残り1年を切り、外国の人たちにとって難しい漢字や過去の問題などに取り組んでいる。

ムハンマド・ウィルダンさん(25)、アハマド・リヤントさん(27)、ペラモノさん(25)の3人。いずれもインドネシアの看護大学を卒業し、母国の看護師資格を持っている。

3人は週3日、午前中に2時間、施設内で授業を受ける。指導するのは、韓国などで日本語を教えた経験があり、介護福祉士の資格も持つ丸尾とし子さん(46)=同市龍野町。外国人用に法律用語を易しく解説したテキストなどを使いながら、日本語の意味を丁寧に教えている。

介護福祉士の試験では、医学や介護の知識などが幅広く問われる。3人は看護師の知識があるため医療分野は得意だが、例えば「白内障」という単語が出ても「目」という漢字が使われていないため何の病気か連想できず、手こずることがあるという。

3人が昨年度の試験問題を解いたところ73〜81点だった。合格ラインは平均点から決まるが、80点以上あれば安全圏だという。来年1月の試験までに、全員が合格できる実力を目指す。

ペラモノさんは「仕事にも慣れてきた。一生懸命勉強して合格を目指したい」と話す。

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インドネシア人看護師、岩手での活動報告 姫路 (2011/5/9 神戸新聞)

日本との経済連携協定(EPA)に基づき来日、姫路赤十字病院(姫路市)で勤務するインドネシア人看護師、スワルティさん(32)が、東日本大震災の被災地岩手県山田町での支援活動を終え9日、同病院で記者会見した。スワルティさんは「今後も支援できる方法を考えたい」と話した。

スワルティさんは、死者、行方不明者が22万人以上になった2004年のスマトラ沖地震で日本から届けられた援助に恩返ししようと、被災地入りを志願。4月24〜28日、整形外科医ら8人のチームの一員として派遣され、約340人が避難する岩手県立山田高校で診察巡回の付き添いや心のケアなどを行った。被災者を励まそうと母国の歌も披露したという。

避難所では、08年に来日し今春、日本の看護師資格を取ったスワルティさんの努力を知った女性から「あなたも日本でがんばっている。私もがんばらないと」と声を掛けられたという。

スワルティさんは「多くの人たちから優しさをもらった。これからも日本のことを勉強し、看護師として被災地の復興を見守っていきたい」と語った。

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「介護は義務」決意の再来日 インドネシアの職員5人 (2011/5/17 読売新聞)

日本で介護福祉士の資格取得を目指し、宮城県名取市の福祉施設で働きながら勉強していたものの、東日本大震災で帰国していたインドネシア人職員5人が、施設に戻って再び働き始めた。母国の家族には日本に戻らないよう 懇願されたというが、「障害のある人たちの世話をする義務がある」と家族を説得、異国の被災地で再出発した。

5人は経済連携協定(EPA)に基づいて1年半前に来日し、同市の視覚障害者施設「松風荘」で働いていたエミイ・ワハユニさん(29)ら。もう1人、インドネシア人の女性がいたが、幼い子どもがいるため、母国にとどまっているという。

エミイさんは3月11日、自宅アパートで大地震に遭遇。迎えの車で施設に向かうと、避難してきた近所の人たちでごった返していたという。「停電に断水。食料も無い上、頻繁に余震があった」。そんな状況の中、泊まり込みで入所者の世話をした。

3日後、東京にあるインドネシア大使館の職員が施設に来て避難するよう指示を受けた。用意された車で東京に向かい、被災地域にいた同国人約200人と一緒に3月17日に帰国。家族は日本からの報道を見て「余震も放射能も心配。 もう戻らないで」と引き留めたという。

しかし、入所者が気にかかり、「心が重かった」。何度も電話で入所者らの安否を尋ね、意を決して4月23日、同僚女性と2人で再来日した。既に別の3人も戻っており、一ヶ月ぶりに顔を合わせた。日本語はまだたどたどしいエミイさんだが、2年後の資格取得を目指しているといい、「皆さんの笑顔を見られてうれしい」と意欲を燃やしている。

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進んだ医療 母国に伝えたい (2011/5/18 朝日新聞)

インドネシアから約3年前に来日し、秦野市で看護助手として働きながら日本での看護師資格取得を目指していたルシィ・フィトリアニさん(31)が今春、国家試験に合格した。インドネシア人の合格は県内で2人。今年が初めてだ。4月から看護師として一歩を踏み出したルシィさんは「日本の進んだ医療をインドネシアに持ち帰りたい」と張り切っている。

「おはようございます。よく眠れましたか」。秦野市の鶴巻温泉病院。ルシィさんは患者に笑顔で語りかけながら、体温、脈、血圧などを測り、たんを吸引する。病室をまわり終え、ナースステーションで看護記録をパソコンに入力し、会議に参加。てきぱきと看護師業務をこなす。インドネシアでも3年間、看護師として働いていたが、「やり方の違いが多く、緊張します」。

2008年8月、インドネシアとの経済連携協定(EPA)に基づいて来日。09年2月から鶴巻温泉病院で研修を始めた。

初めは仕事に戸惑った。食事、排泄(はいせつ)、入浴や移動の介助……。母国ではどれも家族の役割だった。日本では介護士や看護師の業務に含まれることを理解するまで、つらさを感じた。

来日直後の半年間、語学研修を受けたとはいえ、日本語もほとんど分からなかった。だが、漢字の部首やつくりの持つ意味を知って面白さに気づいた。「さんずいは水とかね。読めなくても形で何となくわかってきました」

昨年7月、日本語能力試験の3級に合格。国家試験対策の塾にも通い、大人数の教室で日本人と肩を並べて勉強した。

彼女の真剣さに応えようと、病院側もプロジェクトサポートチームを組んで、仕事、生活、教育の面から支援した。

受け入れ施設は、語学研修費や仲介料などとして1人に対し初年度に約60万円を負担するほか、塾代など独自の研修費も支払う。国や自治体から年に最大で数十万円程度の助成はあるが金銭的負担は大きい。

それでもメリットは大きかった。チームの一員だった看護部の増渕優子教育担当科長(54)は「国家試験の勉強も日本語も教え方のノウハウがなく、手探りの部分もあったが、彼女は明るく親しみやすい性格で、一緒にがんばれた」と振り返る。長谷川博副事務長(55)も「教育方法の議論を通して、自分たちの仕事を見直すきっかけになった」と話す。

ルシィさんを支えたのはスタッフだけではなかった。筋萎縮性側索硬化症(ALS)の患者は、透明アクリル板の文字をひとつひとつ目で示し、「試験がんばって下さい」とメッセージを送ってくれた。

今の目標は、患者が伝えたいことをきちんと聞き取れる看護師になること。将来は日本の医療の優れた部分を母国に持って帰りたいという。「インドネシアの看護師は医師の指示がなければ動けないが、日本は一人一人が誇りを持って働いている。そこがすてきです」

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EPA看護師候補者の在留延長で意見募集- 厚労省 (2011/5/18 キャリアブレイン)

厚生労働省は5月18日、日本との経済連携協定(EPA)に基づいて2008年度に来日したインドネシア人看護師候補者のうち、在留期間1年延長の対象となる候補者の要件などを示した「特例インドネシア人看護師候補者の雇用管理、研修の実施等に関する指針」の概要案について、パブリックコメントの募集を開始した。

政府は今年3月、08年度と09年度にEPAに基づき受け入れた看護師候補者と介護福祉士候補者について、一定条件を満たせば滞在期間を1年間延長することを閣議決定した。今回の指針はこれを受けて定められるもので、08年度に来日し、今年8月に滞在期限が迫るインドネシア人看護師候補者について、在留延長が認められる場合の雇用管理や研修の実施などに関する基本的事項を提示する。

概要案によると、受け入れ機関での就労・研修に当たっては、今年度の看護師国家試験合格を目指すため、候補者の特性に応じた「看護研修改善計画」を組織的に作成する必要がある。

在留延長の許可を受ける候補者に求められる要件は、▽今年度の看護師国試合格に向けて精励し、改善計画に基づく研修に取り組む意思を表明している▽昨年度の国試の得点が一定の水準以上である―ことなど。一方、受け入れ機関には、国試合格に向けた受け入れ体制を確保し、改善計画に基づいた適切な研修を実施する意思を表明することなどが求められる。

パブリックコメントの募集期間は6月16日まで。寄せられた意見を踏まえ、6月下旬にも指針を策定する見通しで、同省によると、策定と同時期に、改善計画の提出様式などについて受け入れ機関側に通知する。ただ、要件の一つである国試の点数などについては、早めに受け入れ側に伝える考えもあるという。同省では提出された改善計画を確認して要件を満たすかどうかを判断し、7月下旬をめどに結果を通知する予定だ。

EPAに基づく看護師・介護福祉士の候補者の滞在期間は、看護師3年、介護福祉士4年。その後も日本国内で働くには、滞在期間中に日本の国試に合格する必要があるが、昨年度の看護師国試での合格率は、前年度(約1%)から上昇したものの、4%にとどまった。

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インドネシア人看護師が誕生 鶴巻温泉病院勤務のルシィ・フィトリアニさん (2011/5/28 神奈川県タウンニュース)

インドネシアから約3年前に来日し、鶴巻温泉病院で看護助手として働きながら看護師資格の取得を目指していたルシィ・フィトリアニさんが国家試験に合格。今年4月から同病院で看護師として歩みだした。ルシィさんは「来日してよかった。覚えることは多いけれど、頑張る」と抱負を述べた。

インドネシアで看護師をしていたルシィさんは2008年8月、同国との経済連携協定(EPA)に基づき来日。2009年2月から、鶴巻温泉病院で研修を始めた。EPAによる滞在可能期間は3年のため、受験のチャンスは3回。研修直後に受けた2009年の試験は語学の壁もあり不合格。懸命の勉強も実らず、翌年も涙を飲んだ。

今回の試験がラストチャンスだったが、昨年の夏には日本語能力検定の3級に合格するなど着実に前進。病院側の全面的なバックアップもあり、年明けからは勉強に専念することができた。「病棟の仲間や患者さんも応援してくれていたので、絶対に受かりたかった」と意気込んだ試験は、見事に合格。今回の試験では、EPAで来日した看護師候補の合格率は4%だった。2008年に一緒に来日し、最後の試験に挑んだインドネシア人91人のうち合格は僅か13人。ルシィさんは、見事に狭き門を突破した。

教育係を務める看護部の増渕優子さんは「自分の課題を把握し、常に目標を定めて努力できる。明るくて好奇心旺盛な性格なので、周りも自然と応援したくなる」と振り返った。

当初は悩んだ言葉の壁も、今では日本語で冗談を言い合えるほど上達。「たまにわからない言葉があるけれど、ほとんど大丈夫」と話す。日本の生活にも問題がない。「休日は、友達と買い物に行くのが楽しみ。お寿司やお刺身などの日本食も大好き。日本のスポーツに興味があるので、時間があれば剣道をやってみたい」と目を輝かせる。

将来的にはインドネシアに帰国するつもりという。

「日本で長く働きたいけれど、夢は故郷で看護学校の先生になること。日本で学んだことを、母国に伝えたい」と話した。

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